あなたの守りたいものはなんですか?

●タイムリーなネタにまったくついて行けていません。こんばんは、自分です。ここ数日、リアルな生活の方を優先して上手くまわすために、諸々の物事(ココもそれに含まれるのですが)を削減していく生活でした。先週末は体力もギリギリで異様に張り詰めてたなぁ・・・。少し更新する余裕も出てきて(今日はお休みでした)、さていざ何かを書こうとなると、書こうと思っていたネタが既に賞味期限切ればかりで書けないっ・・・! その時々のタイムリーなネタを追うばかりでなく、記事として古くなっても読める物を書きたいのですが、そうは問屋が卸してくれないようです。
 さて、そういっておいて今日はチラッと見かけた「音楽」に関する文章を。出典が何か分からないので載せるのも少し気が引けますが、昨今のCDやコンサートのあり方諸々について考える、良い取っ掛かりになりそうな気もしたので、ご紹介いたします。

 録音された音楽は、生の音楽とは違う。その違いは、ある程度までは、録音技術と機器の性能の問題である。現在の技術は、素晴らしく高度な水準にまで達してはいるが、それでも未だ、たとえばオーケストラの響きを、聴覚的にまったく生と変わりなく録音再生できるところまではいっていない(この問題は、人間の聴感覚機構の徹底的な解明と、技術の進歩があれば、やがて解決されるかもしれない――少なくとも、それは技術者の夢だろう)。もっとも、そうだからといっても、人々は、必ずしも、生の音楽の響きこそが本来のもので録音はその不完全な代理に過ぎない、と考えているわけではない。私達が日常普通に接することが多いのは、スピーカーから流れてくる音楽の方であって、生の音を聞く機会が少なければ、私たちの耳が馴染んでいるのはむしろ録音された響きの方なのである。初めて演奏会に行ったオーディオ・マニアの少年が、生のオーケストラの響きにはレコードの音のような迫力がないといって嘆いた、という逸話は、単なる笑話ではなく、現実の情況を的確に表している。多くの人々にとって、今や、「録音の音質」が、音楽の標準的な音質として感じられるようになってきた。そうであれば、生演奏の方が録音に近づかなければならない。そして実際、特に歌謡曲やポップスといった分野の音楽では、生演奏があらゆる点で録音と違わないものとなるように、歌手の声はマイクで拾われ、電子的に調整されて流される(実のところ、会場に流れる音はレコードそのものであって、歌手はただ当て振りをしているだけのことのほうが多い)。それは正に、録音の代わりとしての生演奏だといえるだろう。

 うまいこと言うなぁ、と思いました。今進んで行ってる音楽自体のあり方が、正しいか間違っているかというのはそれぞれの判断に任せるとして、この一種「コピーがオリジナルを越えていく」という現象は非常に興味深いですね。