着せ替え人形という願望

blue32004-04-20

●郵便物が来ました。またプレゼントの抽選に当たったようです。CATVで良く見ているスポーツチャンネルGAORAのプロレス番組「みちのくルチャTV」に送ったものでした。当たったのはポスターで、みちのくプロレス社長・新崎人生選手、元新日本プロレス所属の佐々木健介選手(フリー)、そして岩手県議会議員になったザ・グレートサスケ選手の直筆サイン入り!! 応募していたの、すっかり忘れていたんですが(笑)、うお〜、超嬉しいです。これ、何名にプレゼントだったかなぁ…。多くても5名くらいかな。むぅ、額縁を買わなければ。

▲<イデオロギーイラク人質事件や首相の靖国参拝違憲判決などを契機にイデオロギー的な議論が個人サイトでもかまびすしいですが、自分はこういった右だの左だのといった議論はあんまり好きじゃありません。まぁ、ひとつにはそういった思想的なことに関して良く分かってないこともありますが、この手の話に限って、それこそ娘。ヲタがハロプロの曲やライブについてあーだこーだ言っているようなものではなく、普段気にしないような様々な思惑が、とてつもない規模で蠢いている気がするのと(マスメディアの煽動?)、必ずといっていいほど、相容れない考え方の持ち主同士が対峙すると、相手に対して攻撃的になるところなんですね。「相手は相手として、それでいいじゃないか」とは思わず、自分の思想を目一杯相手にぶつけて、打ち負かそうとしてくる。ここがどうしても馴染めないんです。
 「攻撃は最大の防御なり」といったのは誰だか良く知りませんが、それに対する形で、力道山亡き後の戦後のプロレスマットを牽引し続けた故・ジャイアント馬場さんは「防御は最大の攻撃なり」という名言を残しています。攻撃も防御もつまるところ敵対する何を打ち負かすためのものです。その点で、上記の2名言は同じ根本を持っていますが、これは方法論としてだけではなく、そのバックボーンとなる思考プロセスにおいて全く違う考え方をしています。前者は、「対決において、攻撃をしなくては相手は倒せないが、防御もしなくては負けてしまう。しかし、攻撃を続けることにより、結局は一番自分の身を守りながらも相手を攻め、倒すことが出来るのだ」という考えです。対して後者は、「攻撃をしなければ”直接”相手を倒すことは出来ない。しかし、相手が繰り出す攻撃を徹底的に守り切ることによって、相手に隙ができ、最後には相手を倒すことが出来るのだ」という考えです。
 さて、両者における攻撃と防御の意味が違うことにお気づきでしょうか。いわば前者の「攻撃」は相手を打ち負かす為の、「防御」は自分の身を守る為(積極的攻撃)。後者の「攻撃」は自分の身を守る為、「防御は」相手を倒す為(消極的攻撃)のものなのです。
 そしてこの考え方からいくと、前述のイデオロギー論議に関しては、必ずといっていいほどこの積極的攻撃姿勢で挑んで来るんですよね。鼻息が荒く徹底的に攻めてきます(ゴー○なんかもそういう感じですよね)。イデオロギー論議はこういうものなんでしょうか。自分は耐えられません。こうなってしまうと諍いが起きないように黙ってしまうしかないです…。ダメですねぇ。せめて、消極的攻撃ぐらいは出来るように知識をつけて、自分なりの意見を持ちたいものですが、皆さんはいかがでしょうか。

■思っても見ないところからいろんなモノが出てくるものだ。感情だって同じだよ。

△今日は筋トレ+ストレッチはお休み。