さぁ、いつまでもつかな?

blue32004-05-28

●昨日は早く寝ようと、筋トレを犠牲にして12時就寝、今日は朝7時に起床というなかなかの健康優良児っぷり。久々の早起き(?)でした。う〜ん、NHKの朝のニュース内の中継を見るなんてどれくらいぶりでしょう。気がつくともう月末。今月も何冊か本を読むことが出来てまずまずでした。
 昨日あれだけためらっておきながら、あっさりと今日高橋愛写真集『わたあめ』と安倍なつみエッセイ集『陽光(ひかり)』を購入。今回購入の際に感じたことは「いやぁ、モノは考えようだなぁ」と。最初ためらっていた理由は勿論お金のこともあるんですけど、「買ったら買ったで時間をかけて読んじゃうだろうなぁ」という懸念があったからなんですね。でも、これが「売上貢献」という名の、愛すべき娘。メンバーへのオマージュと考えれば、ほら!手にはしっかりと本が握られ、足が勝手にレジの方へ!(笑) PositiveThinkingが如何に自分にとって必要かという、恰好のリトマス紙になりました。2冊の感想もそのうち書きたいと思います。

▲<娘。>卒業に関する自分のスタンスについて――。娘。に対してどういう風に接しているかがわかる、卒業に対するリアクション。回数を重ねるごとにファンのそれも十人十色といった様相を呈してきています。生々しい傷口を素手で触るような思いで、色々な娘。サイトさんの意見を見ながら、どうして自分はこんなにも、「メンバーが卒業していくことに対して失望してしまう」のか、見えてきたものがありました。それはやっぱり普段は頭を使ってハロプロに関してああだこうだ偉そうな事を言ってますが、詰まるところもっと低次元の部分で娘。を楽しんでいただけなんじゃないか、ということです(我ながらこれはちょっと認めたくないというか、わざと気付かない振りをしていただけかもしれません)。
 つまりこうです。小さい子が親から与えられたおもちゃで自分なりに工夫して楽しく遊んでます。すると、夢中になっているところを突然親から取り上げられるわけです。子どもは当然突然のことにびっくりし、手元からおもちゃが無くなった事に泣きます。でも、悲観にくれていると幸か不幸か、親の手によって形を変えられて再び与えられます。前とは少し違っていても、おもちゃが手元に戻ってきたことで子供は泣き止みます。今度はそのおもちゃに慣れようと、自分なりに考えて遊び始めます。そろそろ、以前におもちゃを無下に取り上げられたことも次第に忘れかけ、楽しく遊べるようになった頃、またもや突然取り上げられるんです。”また別のおもちゃで遊びなさい”―――。その繰り返しです。
 感情的条件反射と言ってもいいかも知れません。完全な感情論ですよ、なぜおもちゃが取り上げられたのか、なぜ別のおもちゃが与えられたのか考えようとしない。いや、むしろ子供にとっては考える余地はないし、その能力もありません。おもちゃに全力投球、気持ち120%ですよ。心を揺り動かす感情が全てでどうしてもなくならない状態。子供は泣くことしか出来ない。そしてほんの一片だけ残った理性で子供はこう思うんです、「大人になんか、なりたくない」と。

△今日も大好きなごまりかの為に筋トレ+ストレッチは欠かさない(+ダンベル上げがどうしても回数をこなせなくて、撤収)。