蝶々のようで、蝶々でない。

blue32005-03-10

●昨日、ビートたけしが出演するテレビ特番かなにかで、「食」についての話をしていたのですが、その中でとある民族には日本語の「ありがとう」にあたる言葉がない、という件がありました。思わず「へぇ・・・」とボタンを叩きそうになったのですが(笑)。「ありがとう」という言葉がある我々にとっては、それに相当する言葉がない、と聞くと感謝の意をどうやって表すのだろうと思いますよね。でも、それ程珍しいことではないんです。これと同じように私たちにあって外国にない言葉に食事前の「いただきます」があります。確か中国には、ピタリと相当する言葉はないと、学生時代に中国語の先生(中国人)に聞きました。キリスト教圏なら、これの代わりがお祈りになるのだと思いますが、面白いものですね。言葉は文化がつくり上げるものであって、その概念がないなら、ない「文化」がそこにはあるんですね。
 さて、ここまで長い前フリをしたのは、今日のバイト先の出来事についてちょっと書いてみたくなったからです。自分のバイト先は簡単にいうと娯楽施設で、子供たちが遊べる場所なんですね。で、事務所で雑用をこなしていると突然カンカンに怒った女性が乗り込んできて「一体どうなってるの!ここは!」とまくし立て始めました。クレームが飛んでくることはよくある、と職場の方には聞いていましたが、実際目にしたのは初めてだったので、ちょっとおっかなびっくりで話を聞いていたのですが、その親御さんが言うには「うちの子供に対するスタッフの対応に納得が行かない」ということでした。延々つづくこと10数分。まだ続くのかぁ、と思っていた自分の耳に飛び込んできたのは次の言葉でした。
 「わざわざお金払って来てるのに、好きなように出来ないんですか!ここは!」―――
 印刷した用紙の枚数を数えながら、そのときふと昨日テレビを見ながら考えたことが頭をよぎりました。「あぁ、この人はたぶん”ありがとう”・”いただきます”のような言葉の概念がないんだな」――と。お金を払って来て貰っていることは確かですし、立場上お客さんが上なのも当然です。でも、「お金を払っているから・・・」という主張は経営者に対して絶大な効果を発揮しても、その実体はあまりにも脆すぎるということを、たぶんこの方は分かってらっしゃらない・・・。話を聞いていて根本的なすれ違いをしているように感じました。


△今日も大好きなごまりかの為にストレッチは欠かさない(+早く筋トレを再開したいなぁ、と思いつつ撤収)。