人は共に生き、そして共に殺しあう。

●フッと最近の自分のあり方みたいなものを振り返ったときに、昔ほど(2〜3年前)世の中の細かいトコロで「気になる」出来事に、イチイチ腹を立てなくなった気がします。確かにそのときはムッとはするんですが、いい意味ですぐに忘れられるというか(昔は何度も思い出してその度にイラついてました)。この前も通勤途中でカチーン!と来ることがあったりしたんですけど、「別にコイツら大したことねーや」っていう諦めにも似た感情が出てきます。沢山の物事に触れるたび、情報量を落としていく過程で鈍感になる事を成長というなら、それは受け入れなければいけないこと、なんでしょう。剥き出しのピュアな感情を守るには、何をすべきか――。ハリネズミのジレンマです。


▲えー、FC先行予約のごっちんコン昼公演ですが、今すぐ振り込めとばかりに昨日振込用紙が届きました。ホント、こういうところだけは早いのな(笑)。チケット代金5250円+発送手数料600円+振込み手数料100円、計5950円也。コンサートに行く度に思いますが、毎回自分はこの金額の元を取れるだけしっかり楽しんで、何かを得て帰ってきてるでしょうか・・・。率直なところを言えば、若干そうでない気もします。例えば去年のさくらコンは1階2列という恐ろしい席だったので、完全に元は取った(と確信できた)のですが、去年のごっちんコンなんかはFC枠で完全に席を干されただけに全く楽しめませんでした(レポを振り返っても、舞台に集中していないのが分かります)。
 得るものがなかったといえばそんなことはないのですが、こうやって書きながら思いを巡らせているとやはり「如何に楽しめたか」という部分が大きなウェートを占めているようです。で、そうなってくると今度は「どう楽しむか」なんですが、ここら辺の話になると、もう界隈でもたびたび盛んに議論されているように、各々の参戦の「しかた」という方向に話題が向くんですよね。自分の思いとしてヒトコトだけ言うなら「いい加減やったもん勝ちの世界はやめませんか」ということに尽きます。ホントそれだけです。